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翻訳暴論   

今回、更新が大幅に遅れてしまった原因は私の安請け合いにあります。

henry66という在米日本人女性が開いていらっしゃるブログ「青い蝉」の記事(http://durham97.exblog.jp/8661199/)において

>翻訳は難しいものですね。

との問いかけに乗せられ

コメント欄でこんなに大きな問題を提起をされるとブルってしまいます。

とにかくコメント欄にはふさわしくない話題かと思いますので、私の「翻訳観」は私の方の記事として書き、その上で、お許し願えるならばこちらにトラックバックするということでいかがでしょうか


と答えてしまったのです。
以来苦難の日々が幾星霜!ってほど長くはないか。
とにかく気をつけよう、女性の呼び掛けに暗い道!

Henry66さんの誘い込み方は、たとえば下記のような調子です。

翻訳は難しいものですね。Jim Crow、なんて一体どうやって訳せばよいのでしょう? Rural, という言葉さえ私には訳せません。田舎、と言ってしまっては何ひとつ伝わりません。Reconstruction という言葉が呼び起こす歴史の重荷を日本語で表現できるでしょうか。法律は変わっても、Jim Crow時代の傷がまだ生々しいということ、にもかかわらず皆がやっと共存している窮屈さ等をどうすれば伝えることができるでしょう? 

私は南部や南北戦争に魅せられて、書きたいことが山ほどあるのですが、ニュアンスがどうしても伝わらないのです。ここに住む人たちが the South と複雑な気持ちを込めて言う時のあのニュアンスです。私の好きな文学ジャンルに Southern Grotesque というものがありますが、ああいう物をブログで書きたいといつも思うのです。実際、グロテスクな土地なのです。私は南部連合軍の将軍たちの名が通りにつけられている小さな町に住んだことがあります。裏庭でこどもと土遊びをしていると古い銃弾が出て来るような土地でした。


フンフン、Jim Crow?
辞書では a System of laws and practices in the US that separated black and white people in the past (LONGMAN Dictionary of Contemporary English)とあるけど、「in the past」は乱暴すぎないかい?純情な日本人などは南北戦争で黒人は解放されたと思っているようですが、南部諸州ではいまだに厳然と差別されるんですよね。黒人だけじゃないよ。日本人も別扱いされるよ。その根拠が「Jim Crow laws」と呼ばれる州法だったが、これは表向きには1964年に廃止。しかし思想慣習としての「Jim Crowism」は健在なのです。

Rural?
1.happening in or relating to the countryside, not the city
ᅳopposite urban
<例>
a rural setting
rural bus routes
2.like the countryside or reminding you of the countryside
<例>
It's very rural round here, isn't it ?
地方、田舎、農村、田園、村落を表す形容詞

Reconstruction
(1865-77) the period of American history after the Civil War when the southern states, under government and military control, rejoined the US. Slavery was ended, black people were given the right to vote, and a few universities were established for black people. Many white southerners strongly opposed these measures and some formed the Ku Klux Klan.
南北戦争後の南部の合衆国への再統合期

Southern Grotesqueだって
William FaulknerやTruman Capoteを例示すれば済みます。

このように個々の言葉の意味は原語で提示しても、たいてい、相手に理解して貰えるでしょう。しかし「異なる言語を使う人」に正確な状況やメッセージ、それらに関する自分の解釈などを伝えるには当該分野特有の用語や表現などを提示するだけでは不十分です。

発信者は読者に伝えたい事実、推理、感想などを文章に綴らなければなりません。そして目的の読者が日常使用している言語が発信者の言語と異なる場合に翻訳という作業が必要になります。

「翻訳」という作業、機能が話題になる場合、日本ではなぜか「直訳か意訳か」という議論が持ち上がります。そして「直訳」の代表例としていまだに持ち出されるのが

What made her do so? (何が彼女をそうさせたか)
The force of the smell brought him back to the real world. (その臭いの強さが、彼を現実の世界に引き戻した)

です。いかがでしょう?たしかにギゴチナイ変な日本語ではありますが意味はハッキリしています。吐き気のするような違和感がありますか?
いずれも昭和初期に行われた翻訳だそうです。当時は相当な騒ぎになったようです。しかも使ったのが左翼系の人だったそうですから注目されたんでしょうね。
しかし現代の私はこれらの訳文が間違っているとは思いません。ぎごちなくて不快な文章だと思うだけです。
面白いのは、「直訳・意訳論」で「意訳」の例は提示されないことです。根が意地悪な私は、ここに「直訳・意訳論」の正体が現れていると思っています。明確な境界はないのです。

翻訳に際しては、「原文には何も加えず、原文からは何も削除しない」と主張する先生もいらっしゃるのですが、それらの先生方も「何かを加えた例」も「何かを削除した例」も示してくださらないようです。

このように眺めてみると「翻訳とは何か」「正しい翻訳とはどんなものか」などといろいろ議論はされていても、実は議論だけが独立してもてあそばれ、現実の翻訳作業は唯一の方向で進められているであろうことが透けて見えてきます。

原文の筆者が表現し、伝えたいと思う事実、論理、思想を、原文の筆者が伝えたいと思う読者が解読できる言語(「目的言語」と呼ばれることが多い)で表現することです。主語を代える、語句を加える、あるいは補足するのも、すべて筆者の意図を読者に伝える為の手段であり、それは翻訳者の判断の下で行われているのです。
だから筆者の意図が読者に正確に伝われば、その翻訳は正しい翻訳です。

しかし、正しい翻訳が行われるかどうかを左右するもう一つの要素があります。「校正」という工程です。一応出来上がった訳文が「目的言語」の文法語法に適っているかどうかの確認と、誤っている部分の訂正です。ここで筆者の意図が歪曲される危険があるのです。この「校正」を担当している人が原文を読解できるとは限らないからです。さらに「目的言語」の正しい文法語法を身に付けているという保証もありません。

私がフリーランスの翻訳者として最初に手掛けた仕事は、アメリカ人の従軍記者による第二次大戦での米独戦車戦の報告でした。この時の校正者は米独日の軍事用語に通じており、私の方が多くを教えられました。しかし、年と共に私の日本語に違和感を覚えるらしい若い校正者が増えてきました。そしてあるとき、私が「何気なく」とした訳語が「何気に」に変更されているのを見て、私は外国語から日本語への翻訳作業から手を引きました。

現在は日本の官庁や企業が作成する文書の英訳だけに従事しています。そして原文の筆者または翻訳発注担当者、および校正担当者とemailなどで直接対話することを許される場合に限定しています。
by convenientF | 2008-07-29 13:36